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来間島大学まなびやーの設立に至るまでのお話

1995年来間大橋開通、架橋で栄える島


 1995年に全長1690mの来間大橋が開通したことにより、宮古島と車で行き来できるようになった来間島は、潅水整備事業により農業が発展し、Iターンで来間島に引っ越してきたご家族ややUターンも増え、まさに橋の恩恵を受け、著しく成長しようとしていました。
そんな来間島に危機が訪れました。

 

島を襲った危機、学校統廃合をを経て
2011年、宮古島市による学校規模適正化により、突如来間中学校の廃校案が上がりました。

島では、子どもは島の宝、学校は島の心臓、地域の灯火のように、学校と地域は一体化しており、学校と地域は共に歴史を歩んできました。

この島から学校が無くなったら島は一体どうなってしまうのか?

このままでは来間島は無人島になってしまう、

大袈裟ではなく、島人たちはそう思いました。

地域住民による反対運動もありましたが、2013年9月議会で来間中学校の廃校が決定となりました、

NPO法人の設立で島に再び灯火を

何とかしなくてはならない。

島人の心に暗い影が差す中、島の一人、また一人と立ち上がりました。

そして、島の学校のように、誰の心にとっても支えとなれるようにとの思いと、来間島自体が大きな学びを与えてくれるとして「来間島大学まなびやー」と名付けました。

おまけの話
T当時は、来間島大学でした。が、申請の際に、大学と名乗れるのは、文科省が認定した教育機関でないと名乗れないことが判明しました。既に、任意団体として活動をしておりましたので、名称を変えるわけにはいかず、また愛着もありました。
そこで、島の家々にはみんな屋号があることに習いまして、「まなびやー」という屋号をプラスして、現在の名称になりました。

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